松江の奇跡

夕方、一文字屋さんの「ユニバーサルデザイン弁当」をいただいたのだが、これで終わりにするわけにも行かず、外出。
松江駅前の居酒屋に一人でふらりと入り、カウンター越しに御主人の話を伺いながら、地酒と魚料理をいただいた。
甘エビ、白魚、しじみ汁。
どの酒もここからすぐの場所で作っているんですよ、とおかみさんが教えてくれた。
久しぶりにラジオをつけっぱなしで寝てしまったら、深夜便の「荒木とよひさ特集」で目が覚めてしまった。
「悲しみ本線日本海」「もしも明日が」「四季の歌」。。。
同じ中国地方で70年代と80年代を過ごした自分に、昭和の記憶と、平成の時代の移り変わりを、一度に思い起こさせる、そんな出張になってしまった。


WIT研究会で実施したバリアフリー見学ツアー
ずいぶんたくさんの方にお会いできて、たくさんのお話を伺えるんだなあと、楽しみにやってきたのだが、実はすべてが「たった一人の視覚障害者の情熱」に感化されて始まった事件だったのだ。
NPO法人「プロジェクトゆうあい」の理事長、三輪利春さん。
全盲視覚障害者である三輪さんと、パソコン通信の地域コミュニティを通じて、視覚障害者であると知らずに出会った人たちが、ネットを通じてアイディアをふくらませて、そして「三輪さんのために何かを作りたい」という気持ちで、いくつものベンチャー企業が生まれ、老舗の企業に新しいチャレンジをさせた。
この動きがなかったら、「日本 Linux 協会」も「プログラミング言語Ruby」も世の中に存在しなかったのだから。。

むかし私は恥ずかしながら「オープンソースアクセシビリティ」というテーマで人前で講演をしたことがあるのだが、実はそれを実践しておられたのが「ネットワーク応用通信技術研究所」だったなんて。

バリアフリー見学ツアーは参加者10名程度と少人数だったが、単なる見学会にとどまらず、開発のねらいや背景も詳しく伺うことができた。「もっとこうしたらよくなるのではないか」などディスカッションがふくらむと同時に、「私たちも使ってみたい」といった展開につながりそうな会話で盛り上がった。
AMラジオを使った音声情報サービス「てくてくラジオ」は、会場の目の前のバス乗り場で体験させていただいた。その場にたまたま白杖をお持ちの方がいらっしゃって、その方はどうやらこのサービスを御存知ないようだったが。。


京都にいたころに視覚障害者用のタイピング練習ソフトを開発し、それがこの分野に関わるきっかけだったが、そのときにも「一人の視覚障害者」がすべての原動力だった。東京に来てからも似たようなことを経験した。あれは普遍的な構図なんだなあ、と改めて思う。

地域と人の出会いから、地域が変わり、世界を変えていく。
一人の人間の可能性でさえこんなに無限大なのに。

自分の努力の至らなさを恥ずかしく思うが、そういうことに気づいただけでも、松江に来てよかった。

■追記(2008-06-02) 写真を追加しました http://f.hatena.ne.jp/nishimotz/2008-01-matsue/